仮面福祉会

できることを切り売りしています

続きに自分が立っている感じがする

録画していた、いだてんを見た。
すごいものを見た。

見ている者は、9月1日の正午近くに何が起こるか知っている。知っていながら、歴史に残らない普通の人々の普段のやり取りを、ただ見ている。
一つ一つの何でもないような表現が何でもないようなだけ一層力を持って、生な感情をしかと掴んできて苦しい。悲しいことも辛いことも嬉しいことも一緒くたにそこにあり、普段使いの言葉で言い表される。そうだよ、そういうことなんだよな。と、力技ではない説得力があった。

映画などで人がたくさん死ぬような場面を見ると、私はここで真っ先に死ぬやつだな、と思ってしまう。だけどいだてんでは、死ぬかもしれないけど、その死はひとりひとりの死であって、温かかった。

アントワープオリンピックの本戦の扱いがモノローグみたいになっていた辺りでおやと思ったのだが、オリンピックという軸はあるけど、描かれているのはその時代に生きていた人の営みなんだなというのが何となくわかってきた。

17日の回の時点で子どものみなさんはこの先、青春時代にあの戦争に突っ込んでいくことになるのを、見ている者は知っている。苦しいことだ。でも多分、見てて良かったと思えるんだろうなという明るい感じがするのが不思議だ。苦しいけど暗くなく、何故か希望がある。

とにかくあれを見ないなんて本当にもったいない、もったいないよー。
先週から来週までの3回分だけでも分かち合いたいが、17日の回は、1回から積み重ねてきたものがあるからこそ感じることも多く、ああここまで見てて本当に良かった。良かったなぁ。