仮面福祉会

できることを切り売りしています

隙間を無理に埋めなくていいのに

職場の隣りの席に「できる人はやっぱり語彙力」という本が置いてあった。
そうなのか・・・。本を読んで、覚えて、すっと出てくる語彙が身に着くのだろうか。読まないよりは知れるかもしれない。何はともあれ、そのようなことが課題だと感じて読んでいるんだろう。えらいな。
語彙力が足りているかどうか客観的な評価はわからないが、仕事をしていて不自由を感じたことはない。仮にそれがつまり語彙が足りているということだとして、いつの間にどうやって覚えたのかしら。

正岡子規を引き続き読んでいる。近松門左衛門をぼろくそに言っている段があって面白かった。多分、しつこいばかりで名文を書く能力はなかったよね、ということだった。
今、近松の例えば心中物を見るとしたら役者目当てか、江戸時代からの伝統芸能を鑑賞したいというのが動機で、唄の中身までよくよく気を付けて好きだから見るなんて人はいかほどもいなかろう。しかし明治時代の人がみんなわかって見ていたとも思えない。
一方でキーンさんなどは近松の日本語が聞いて美しいと言っていた記憶もあるので、どちらにしてもレベルの違う天才たちが庶民にはわからない好みを主張していると解釈している。天才は良い。
ただ、心中物のしつこさがうっとおしいので、近松門左衛門があまりいいもんじゃないというのは同意だ。よく知りもしないのにケチをつけて申し訳ない。今度頑張って原文を読んでみよう。

最近、報道のゴシップ方向への振りが大きくなっていませんか。また、どこもかしこもそんなものまで拾って無理矢理燃やすんだという炎上の頻出ぶりではないですか。私が見ているものが偏っているのでしょうか。見ないように気を付けているつもりでも、石を投げれば当たる状態で疲れる。