仮面福祉会

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感動的に泣く理由は日常にはない

電車で学生さんたちが、20歳と21歳は全然違うんだということで盛り上がっていた。21歳になると、俺はもう20歳ですらないんだと思うんだそうだ。その「ですら」はなんだろう。わかるようなわからないような。
俺はもう若くないし若者の気持ちがわからなくなってきた、と思い始めている若者のいとおしいことよ。

4日目の新人さんとランチに行く。
担当が違うので仕事の詳しいことは知らず、ふんふんと聞いていたら新人さんが泣きだして焦った。研修で聞いたいろいろについてとても自信がなくて失敗する未来が見えているのだそうだ。大人の社会に慣れていないのが気の毒だなと思ったが、この先大丈夫かと普通に心配だ。

泣いている人間に対する振る舞いの正解がわからない。泣いているという事実を無視する道を、不正解だろうなと思いつついつもとってしまう。劇場型にもらい泣きをしてしんみりたり、わぁわぁ騒いだり、逆にしらけた目を向けたりすれば良いのか。
実態としては最後のが一番近いが、それが正解なわけがない。

かろうじて自分のことを顧みると、泣くほど辛いんだぞということを知ってもらいたいだけなので、泣くなばかやろうと怒られなければあとは何でもいいか。

なんかもう、歳の差があってもなくてもあまり人の気持ちを想像して慮っても検討違いかもしれないから、無駄だし極力やめていきたい。