仮面福祉会

できることを切り売りしています

私でよければ手を貸しますが

高尾山が中止になったので映画を見に行くことにしたのだが、晴れているな。だが風は強い。

おっさんずラブロケットマンのはしご。同じ「映画」とは思えない多様性を感じる。歌舞伎役者がやれば歌舞伎なんだという勘三郎さんの言葉が思い出される。映画館でやれば映画なんだ。

前者は良くも悪くも期待を裏切らない内容で、そういうことを求められているのでいいと思う。このうえドラマで何をやるんだと心配になるが、やるならもう主役ふたりにスポットを当てた日常とかがいい。幸せな気持ちになりたい。牧くんにもうちょっと発言してもらいたい。

後者は全部が豪華なエンタメで、更にたまたま特別仕様のスクリーンで見たので、画も広く音も立体的で映画を見る体験として満足感があった。
しかしなんだボヘラプと比べる必要はないのだが、どうしてもつなげて考えてしまって、どうしてこう地に足をつけられず堕ちてしまうんだいとつらい気持ち。エルトンは死ななかったから救いがあるような気がするも、映画としてはロケットマンのほうが可哀そう。ミュージカルでアゲてなお可哀そう。

先日被災者が体験を語る会で学生が被災者に対して、ちょっと憧れがあるとうっかり言ってしまったのを思い出す。幸せで平凡であるということはかけがえないのに、凡庸で取るに足らず生きても死んでも同じという絶望感を生み、破滅的な行動が魅力的に見えたり不幸に憧れたりして熱狂するの、わかるな。
わかるけど幸い自分はもう大人なので、辛いことは極力避けたいし、堕ちていきそうな人を見ると、何とか助けたくなる。それで余計なお世話だと手を払われるんだろうなと想像して哀しい。