仮面福祉会

できることを切り売りしています

さもしさの悪さはどこに

職場のビルは時間になると、表の入口に檻のようなものが下りる。純粋に扉が開かなくなるだけでは、ガラスを破り入られる恐れがあるということなんだろう、強固な拒絶を感じる。本気出せば格子の間をすり抜けられる人がいそうだが、往来でそんな風にして体をねじ込んでいる人がいたら、可笑しいな。

表が閉まると裏から出入りすることになり、暗証番号を打ち込む盤面がある。その様子で番号を読み取られないよう、毎回数字の配列が変わると聞いているが、まだ1度しかやったことがない。その時は意外に素直な並びだったので、本当かしらとちょっと疑っている。

 

冷たい飲み物を求める季節で、スーパーで買った2Lペットボトルの中身をうつしかえてデスクで飲んでいる。その、うつしかえる行為がちょっと恥ずかしいなと思っている。そもそも2Lペットを共用の冷蔵庫にいれている時点でちょっと恥ずかしい。正々堂々ケチくさいのだけど、ケチであることの何が恥ずかしいのだろう。それに、冷蔵庫に入れたピッチャーからグラスに入れて飲む、というようにすれば、ただの生活の行為になって多分恥ずかしくない。ケチくささはペットボトルに宿っている。

 

ちゃくちゃくと仕事をし、明日の会議資料を読み始めた瞬間に断念。フロー図の説明に、使われている記号の解説ページが付いていて、地図記号かと見まごうサインが並んでいた。どういう文化なのこれは、と謎に感じた時点で思考が止まった。明日やろう。

 

帰宅し食卓につくと、スペアリブがバンと置かれていた。肉が必要だ、と宣言をしてかぶり付く両親が心強い。肉の日だったらしい。