仮面福祉会

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母帰る

前回の教訓を刻み、家の鍵を握りしめ、ゴミを出しに出る。雨が降り、寒々としている。閉め出しが今日でなくて良かった。

極暖の上に喪服を着、ウルトラライトダウンの上にトレンチコートを羽織る。私はユニクロに守られた。
黒靴は手に下げて長靴で出かける。途中駅の交差点で、両親の車に加わった。警戒した渋滞はほとんどなく、かなり早く斎場に着く。

ぼんやり待っていると、祖母の子どもと孫、ひ孫しか算段されていなかったところに、他の親族もぼちぼちやって来る。鉄研に入部した従姉の子どもと、山手線の発車音が変わった話で盛り上がる。弟の奥さんと従弟の奥さんが話す様子などは、数か月前には存在しなかった親族で妙だ。

うちは無宗教オブ無宗教のため、今回は、納棺と火葬だけ執り行われるかたち。親族たちが納棺の部屋でぎゅうぎゅうに肩を寄せ合い、半分ぐらいは立ち見になった。
横たえられた祖母は花柄のトップスにグレーのズボン姿。ミイラ化した左足はガーゼで包まれている。納棺師さんが結構ぐいぐい髪や顔を拭くので、遺体をそんな風にして形が崩れないのかとヒヤヒヤしたが、髪はふっさふさのままだった。
納棺師さんが、体を拭いたり触ったりを促すのに従い、足を拭き、手を握った。それらは冷たさを含め、最後に会ったときとあまり変わらなかった。数週間前にはっきり話せた祖母の記憶を固定しておきたい。という気持ちから、特に顔はあんまり見ないようにする。涙の前に、鼻水が垂れた。
お棺の中に入れるものの中に、私が数年前にあげた、ヤクルト優勝記念雑誌があり、笑った。
その他のも、その辺に散らかっていたような、つまり普段祖母の身近にあったものがものだった。
その後も納棺師さんが何度も祖母への触れ合いを勧めるので、最後の方は譲り合いみたいになった。
主に段取りを決めた叔母はずっと祖母の面倒を診ていて、基本的に朗らかで、愛情があるのを知っている。そうでない他人から見たら、敬意や悲しみの足りない葬儀に映るかもしれない。

ようやっと閉じられたお棺を運ぶ霊柩車の後ろを走る、マイクロバスで火葬場に向かう。臨海で、でかい倉庫とトラックに取り囲まれ、興奮する。
火葬場での段取りは淡々と進む。
焼いている間にお昼を食べ、緑茶を何杯も飲んだ。朝から何も飲み食いしていなかったから、おなかが減り乾いていた。
焼き終わった祖母の残りはすごく少ない。両股関節に入れていた人工関節を取り除かれていたせいもある。チタンの関節、見たかったな。

終わった足で、父と叔母と従姉と、祖母宅に行く。父と叔母の総意で、遺影と骨壺はそこに置いておくそうだ。
片付けられたリビングのテーブルに、遺影と骨壺と花が並べられ、様子だけは祭壇のよう。叔母が、ピアノの上に置いてあった祖父の遺影を、テーブルの正面にあるソファの上に移動した。叔母が、これで元に戻ったわね、とにこにこしている。
一人が寂しい、などの言説は他人が勝手に言うことだから、私は清々した心持ちになった。しかし、生きて帰れたら良かったな、とは、改めて思う。
それにしても今、この家に空き巣が入ったら、めちゃめちゃ怖がるだろうな。

従姉とその子どもも一緒に、父の車で帰る。普段乗らない人が一緒だと、渋滞でジリジリしてしまう。

帰宅して喪服をかなぐり捨て、出かけようとしたところで、ネックレスをしていたままだと気付き、慌てて外した。
リンゴともやしを買う。

立てていた体組成計を寝かせようとしたら、滑って落として上下がバカンと外れた。どこの部品かわからないがプラスチック片がバラバラ散らばっている。上下を合わせて上に乗ってみたら、40キロ代後半の数字が示された。違う気がするが確証が持てない。