仮面福祉会

できることを切り売りしています

言葉(と酒)は必要か

数週間前に運動会の手伝いをしたさい、まだ青みのあるバナナを3本もらった。
それらを吊るしておいたのがようやく熟し、キッチンにバナナの香りが漂うぐらいになってきたので、朝ごはんにむしゃむしゃ食べた。

朝日に向かうのが眩し過ぎて、メガネを外し、裸眼にサングラスで歩く。視力は0.1に満たないが、人が来るのもわかるし、明るいうちはあんまり支障がない。
かつて視力矯正を考えたこともあったが、最近は見えないほうか穏やかでいられるシーンが多い実感がある。わざわざお金をかけなくて良かった。

この間パンクを直したばかりだが、また空気が抜けてしまい、観念してタイヤ交換をお願いした。前回、大丈夫判定だったブレーキも少し締めてもらう。

仕事。スクールソーシャルワーカーさんたちが来て、意見交換をする会をやる。同じ社会福祉士であっても、社会福祉法の我々と、学校教育法の彼彼女らでは、動きの仕組みが全然違うのがわかった。福祉の感覚からすると近視眼的に感じられ、学校がワーカーさんを有効活用できていないのがもどかしい。うまいこと手を結んで、子ども及び世帯支援、からの、地域福祉をやっていきたい。

午後は町会のサロンへ。ご近所さんたちの近況報告と情報交換をする場になっている。お茶飲みに行くだけで、ひとりで家にいたら気付けないような危機を、回避できたりするのだからセコムなぞよりも余程手軽で安心ではなかろうか。
築40年のマンションに新築から住む人が、この間に3回飛び降りがあったと教えてくれた。長く住んでいるからそういうこともあるよね、というテンションだったが、そんなわけなくないか。恐ろしい。

時間外に、主に精神障害系の人が対象の施設さんたちの学習会に出る。
いかに人とつながるか、というテーマが話され、様々なライフステージの立場からの感覚が興味深い。
40代後半以降ぐらいの人たちや、お酒によって仲を深めたい傾向がありそうだし、20、30代ぐらいの人たちは、楽しい時間と空間を一緒に過ごすことで人と親しくなろうとしがちなのかもしれない。前者は、話して人となりを知ることが親しさと考えるが、後者は、具体的な人となりを知らなくても、雰囲気や印象で親しみを感じる。ということなのかなとつらつら考えた。そんな単純にカテゴリ分けできるものでもなかろうけど。