仮面福祉会

できることを切り売りしています

私の人生をやりたい大人

文化の日を含む連休は、貴重な快適な季節の休日をねらった抽選のように、ほうぼうでこぞってイベントが開催される。ということで、担当するエリアの、町の運動会を手伝いに行く。

雨天が心配されたが、会場に着けば既に若干暑いぐらい日が照りまくっている。その下に、万国旗がかけられ、入場、退場門が立ち、しっかり運動会の景色が広がっていた。
開会式が始まり、来賓として、町会長たちが集っていることに気付いた。良好な関係性を築く必要があるが、まだ会えていない人が今、揃っている。始まる前に挨拶しておければ良かったのに、今となっては逆に、集まり過ぎていて声がかけられない。千載一遇のチャンスをみすみす逃してしまった。

競技に参加する人々を整理し、誘導する係を割り振られており、同じ担当の大人たちとわっせわっせと取り組む。相手は主に小学生で、大変と言えば大変だが、集団として指示に従うことに、相手の方が慣れているのもわかる。教育方法としての良し悪しは置いておいて、この場においては助かるし、日頃の先生たちに感謝の気持ちである。

子どもたちが走ったり綱を引いたりするのを見ていると、走り方に無駄がない子とある子がいるのが興味深い。足が速いことは現代社会でほとんど意味がないかもしれないが、体の使い方の上手い下手につながっているのが一目でわかる。何の義理も関係もないのに、伸びしろを伸ばしてあげたい。
順位が後ろの方になってしまった子が、走りながら泣いていた。

最後はリレーで締めくくり。チーム競技が好きな民族なのか、とにかくリレーは盛り上がる。
中学生から一般の部には、小学生よりも多く、80人もの人が集まり慌てた。その前にも何度か子ども向けの競技に、自分も参加できるかと大人から声をかけられたが、運動会に出たい大人がこんなにいるとは。
走ってみれば、速い人も遅い人も楽しそうで何よりであった。
なんというか、大人になってむしろ、子どもの時に楽しかったことをしたいのかもしれないな。考えてみたら、みんな日頃、子どもを楽しませるために存在してるようなものだもんな。

しっかり日に照らされ暑くなり、上着とパーカーをエコバックに詰め、Tシャツ一枚で帰る。Tシャツの背中には、緊急災害支援と書かれている。

その足で祖母の病院に着くと、ちょうど叔母が受付をしていたから、一緒に入る。
酸素濃度が下がり、昨日から酸素をつけ始めたと、看護師さんが説明をしてくれた。いつもは隠れている左足が外に出ていて、ガーゼの隙間から覗く足先が完全に壊疽していた(あとで調べたら、「ミイラ化」と表現される状態だった)。
一方で酸素のおかげか、かなり明確にコミュニケーションが取れた。年賀状の準備を叔母に頼むような時間感覚もあるし、今年祖母の義妹が亡くなったから喪中だろうかと心配する認知もある。11月に始まる相撲の話などをし、私の存在を喜びにこにこしてくれたりもするから、もったいない、という気持ちが募る。
それにしても祖母は昔からとにかく鈍感で、疲れる・肩がこる、というようなのがわからないと言う。心臓の手術をする前に全く自覚症状がなかったり、今回も酸素をつけてもつけなくても変わらないと言うのは困るが、どちらかと言えば羨ましい。マインドフルネスと真逆だが、どんな健康法も、気にならない、には敵わない。

毎日が労いなので、かき氷を食べてから帰る。
ラグに座っていると冷え、寒い。もこもこの部屋着を羽織り、風呂の暖房をつけた。