仮面福祉会

できることを切り売りしています

フィクションの現実感を図る

曇りがちだし、朝の暑さの質が変わった。夏の山を越えた気がする。家事、日焼け対策、突然の雨への備えなど、細かい手続きを毎日毎日繰り返しこなしたことの積み重ねで、もしかすると無事に乗り切ったのかもしれない。

一番に職場に着いた日は、テーブルを拭く決まりも定着した。いつだかに「自分が座れば浄化されるから(拭かなくても大丈夫)」と軽口を叩いていた人の定位置に、明らかコーヒーをこぼした跡がある。まじで自然に消えるとでも思っているんだろうか。ゴシゴシこすっていたら、それを見た職員さんに、丁寧に拭いてくださってありがとうございます、と言われた。全体的に見当違いである。

午前は事例検討会。振り分けられたグループに、何をするにも平均の1.5倍ぐらい時間を要する職員さんがいて、イライラしてしまう。共生社会を目指すものとしては、同僚をインクルーシブできなくてどうするものかよだが、私の福祉の基本は受容ではなくて認知なので。

午後は振休。新宿の、初めて行く小さな映画館で、大いなる不在を見る。
役者さん、特に藤竜也さんがすごくうまくて、フィクションで感じがちなメタがあまりなく、そういうこともあるかもな、と思わされた。思わされながら、他の人も同じように感じるのだろうかということが気になった。現実の自分は権利擁護と支援を考えてしまうから、一般的にあの展開が「あり得る」と捉えられるのかどうか、知りたい。それから恋だの愛だのへの感度が激弱の自覚があるので、その視点でも、共感する人がいるのか完全なファンタジーなのか、知りたい。
タイトルについてずっと、当事者不在で話が進むことがそれかと感心していたのだけど、後で映画の紹介を見たら、父親の不在のことと書いてあり腑に落ちない。
あと、演劇のくだりだけは純粋にあんまり、よくない。

映画館を出て、強い西日を受けつつ駅に向かう。外国の人が多い。

予約していたかき氷をやり、多幸感を満たした。良い休みだ。

いい気分になって黒豆を500グラム買い、それと十六穀を混ぜた米を4合炊いた。ごく弱火にしても、ピンがマックスで上がり続ける圧力鍋を、毎度のことながら恐ろしがる。

その間、何度も大雨の通知があるが、米を炊く音のせいか、嵐の様子は聞こえない。