仮面福祉会

できることを切り売りしています

年齢の意味するところ

曇り、日差しがないのに油断したが、蒸し暑さがきつい。
自転車で繁華街を駆け抜ける。

相談会、この間は別の場所でなぜか皿回しをしていたが、今日は初めてボッチャに参加する。参加者は全員高齢女性であったが、室内競技用らしい滑りにくそうなスニーカーを履いたり、投げ方が研ぎ澄まされていたり、ちゃんとガチ勢がいる。それからそのガチ勢をコソコソ揶揄する人もいて、キャラ設定が完璧だ。
3つに分かれたそれぞれのチーム名が色で、更にボールも色で、「ピンクチームが今度は青で」などと言い合い、混乱し、コントみたいになる。わざとか。
数合わせで入った私はやりながらルールを理解し、明後日の方向に球を転がすなどして足を引っ張り、結果的に3チーム大きな差もなく平和裏にゲームを終えた。

ボッチャが注目されるようになった最大のイベントは、リオのパラリンピックだったと認識しているが、終わりかけた頃、ボッチャってパラリンピックでやるんでしたっけ?と言い出したから驚いた。むしろパラリンピック以外のどこでボッチャを知るのか。ここか。

相談はないまま会場を後にし、昨日の続きをやりに個人宅へ。
都営申し込みのサーバーが予期せぬエラーを発生し続け、いい加減待てないから、探し出した受付窓口に電話をした。するとするすると申し込みが済み、生身の人間が最高であるという、当たり前のことをしみじみ味わった。
家にいる間、0歳児の様子をずっと眺めていたが、思い出して反芻するぐらいに、やたらと可愛かった。

帰宅してテレビをつけると、素人の女性が「私なんかまだ80歳だ」「周りからスーパーおばあちゃんと言われる」と自慢げに言うのが映っていた。若く見られて悦に入るのは、そこそこの大人になれば全世代共通の作用と言って良いと思う。そして後期高齢者ぐらいになると、聞かれもしないのに自ら進んで年齢を言い「見えないですね!」を貪欲に求める人が増える気がする。私はあのしぐさがどうも苦手で、「見えないですね!」を言わないと決めている。だって実際、大体それぐらいの年齢に、見えるから。

今日は原爆の日だ。平和式典のニュースで、被爆者の女性がインタビューに答えていた。来年は来られるかわかりませんが、今年は来られたので何とか来ました。と言うその人は、95歳だという。生きている限り語り部を続けると話す、90歳の女性の後ろには、介護予防と思われる体操のメニューが書かれた紙が貼られていた。

毎年この時期になると増える、戦争関連の特集なども、イベントごとで薄まってしまっているように思う。いつもオリンピックの年はこんな感じだっただろうが、当たり前ながら終戦からはどんどん遠ざかるから、意識的して取りに行き続けないと、いつか本当に忘れてしまうだろう。忘れてしまえばきっと同じ轍を踏む。
静かな気持ちで、NHKスペシャルで広島赤十字病院の話を見た。
我々はに大変ひどいことをしたけど、アメリカに対してもっと怒ってもいいはずだ。

ゆうパックが届き、ドアを開けて、雨が降っていることに気付いた。部屋の電気を消すと、雷がピカピカ光って、眩しい。