仮面福祉会

できることを切り売りしています

現実は五感に宿るもの

家を出ると、工事でもあまり聞かないような騒音が鳴り響いている。しばらく歩くと音の出どころがあった。見れば、更地に生える木をチェーンソーで切っているのだった。すごい。木を切るってこんな大仕事なのか。一本でこれなのだから、林業では始終この音と仕事をすることになるのかと思うと、労働そのものよりも過酷な感じがする。音と、温度と、においは、想像から欠ける罠のようなもの。

午後から研修の日。急に、今だ、という気分になり、その前に二郎系のラーメン屋に行く。分厚い豚肉の写真を見るたびに、食べてみたいものだと思っていたのだ。
選んだ店は親切にも麺を減らす選択肢が設けられている。それにもっさりとモヤシと、豚肉で、私の需要と完全に合致して嬉しい。
カウンターは埋まり、その後ろに貼られた番号に沿って、待つ客が並んでいく。コールのルールに従い、食べたらカウンターを綺麗にして、店を出る。効率よく店をやっていこうという店側と客の協力により、想像の未来みたいな無機質が生み出されている。自分の経験のなかだと、健診とか献血の雰囲気が近いが、そこでみんなが求めているのが大盛ラーメンだというのが、我に返るとディストピアみたいでちょっと怖い。
カウンターの中は店員さん2人だけで、効率よく愛想よくやっており感心する。自ら選んでやっているのだろうが、毎日毎日ラーメンを作り続ける生活を、想像するだけでぐったりしてしまう。
午後があるからよしたニンニクを今度は入れよう。と、既に今度のことを考えながら店を出る。

研修会場まで歩く中、日が照って暑い。
研修は、医療系の団体が主催する、対人支援の事例発表会みたいなもの。アイスブレイクで、目をつぶって指示どおり紙を破いた結果が、グループ内で揃うようにしましょう。というのをやった。話し合って指示の解釈をすり合わせるのだが、中に一人年配のお医者さんがいて、この短時間ではこの人だけすり合わないな、ということが瞬時に察せられた。それでつい、その人と一致するのを目指す、という媚の売り方をしてしまった。処世である。
発表の中で、参加者多くが知らなかったと言うワードが出る。私はニュースや新聞で見知った言葉であったから、みなさんと違う情報ソースで生きているのかと、ちょっと戸惑う。世の中の人は忙しくて、仕事に必要な情報以外には出会わないのが普通なのかもしれない。

信じられないことだが、備蓄用に水を買おうかどうしようか、ずっと悩んでいる。