仮面福祉会

できることを切り売りしています

対価のことばかり考えている

職場の洗面器で鏡を見ると、春物ニットの襟ぐりから、下に着た黒いエアリズムが覗いている。ろくに確かめもせず目についた服を着て家を出た結果である。クルーネックの罠を気にする1日になってしまった。

 

仕事を作ってあげねばならない子どもが3人ばかりいてそのために腐心する日々で不毛。週2、3回来てくれれば十分だが、そういう隙間的に頼みたい仕事があることと、非正規雇用の多さを問題視していることの相反に悩む。

昨日母は、外国の人に着物を着せる仕事で朝から駆り出され、準備から後片付けまで全部をやらされぐったりしていた。お金をもらってるからしょうがないと言うが、確か日給1万円ももらえないと聞いている。技術が必要なうえに肉体労働で妥当な対価とも思えない。一方で私は同僚に仕事を捻出できず暇に対して給料を払わせている。待つのも仕事と言うが、気休めの言いようであって事実は無駄でしかなく、辛い。

 

駅を降りて目に入る広告が変わったのに気付いた。リフォーム会社のようだが、つぶらな瞳を向ける猫が全面に出ており脈絡がない。このように、猫だな、と気を引かせる効果からの流入と、猫嫌いの流出を天秤にかけたら前者が勝つということなのだろうな。猫マーケットのでかさよ。

 

月面に機械を着陸させるのにもでかいマーケットがある、という話をニュースでやっている。わからない話だが、夢みたいなものに費やせるお金がある世界は、平和でいいことだと思う。