仮面福祉会

できることを切り売りしています

楽しさも自分を騙す呪い

私の家の近くには小学生と中学校が並んでいる。駅に向かう道で、毎日、先生と思われる人々とすれ違う。その中の一人が、袴の日があった。小中どちらかはわからないが、卒業生の担任なんだな。そういえば、学校は土禁で、先生たちは大体スニーカー的なものをはいていた気がするが、袴の場合どうするのだろう。今の自分なら室内用に草履を用意するが、もう少し若年だったら、無頓着に不釣り合いでも平気でいる気がするな。

その日以降も相変わらず先生たちとはすれ違っているが、ぼちぼち春休みに入り、電車は少し空いている。

 

職場の卒業生も最終日が近い。いつまででしたっけと訊いた相手の戸惑いを感じ取り、最終日を確かめるのに、こそこそする風習があることに気が付いた。プレゼントを用意したり、多少のサプライズを示唆するからだろう。しかし私は何の餞別もする気がなく、全く業務の都合のためだけに尋ねて何かごめんと思う。

 

ここのところ比較的暇で、暇であるほど何故か疲れる。帰宅して屍の形になると床からなかなか離れられない。

野球の人々が帰ってきたというニュースが次々と流れてゆく。テレ朝で監督が話しているのを聞き、この人はどの監督または選手あがりの解説とも違っていて、気持ちのよい人だなと思う。勝ったからこそではあるが、てらいがあまり感じられず、勿体ぶったところもなく、かといって卑屈でもない。

上司の顔色を伺うようなチームはダメなのだ、と父がわかったようなことをいう。確かに、最近良いとされるのは、部下たちにのびのび能力を発揮させるアプローチだろう。しかし、そういう上司のもとで働きたい、というのはわかるが、そういう上司として仕事をするのは、楽しいだろうか。