仮面福祉会

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仕舞い方にまつわる愛憎

昨日久しぶりに母と話し、大叔母が亡くなったことを知った。介護の必要はないが、子供たちと医師の意見により最近有料に入所したところだった。数週間前に母が電話で話し、コロナ対策で個室にほぼ軟禁状態なのを嘆いているのを聞いていた。

 

時節柄か、時節柄にかこつけてか、葬儀はごく近親のみでやるのでと言われ、母は会いに行くことができない。兄弟の多い世代なので、甥姪をカウントするとそれだけで膨大になってしまうのはわかるが、三親等は近親ではないのか。

故人の遺志で葬式はひっそりと、という気持ちはわかるし、何ならそうあるべきと思っていた。しかし最近考えを改めつつある。葬式とは残された者に区切りをあたえるためのものだから、それをさせてもらえないのは寂しいし、禍根が残るおそれすらある

 

年を取ると周りに迷惑をかけないようにと考え、関係を整理したりする人も多いが、考えてみればどうしてそんな肩身の狭いような振る舞いをせねばならないのか。できなくなることが増えるのは、当たり前のことなんだから、もっと堂々と生き切れないものだろうか。堂々と人に頼り迷惑をかけ好きなように生き切って、葬式をしてやいやい言われたらいいじゃないか。

 

母は大叔母のことを実の母のように慕っていたから、最後に顔を見て思い出に浸るぐらいのこと、させてやってほしかった。というのは、自身の親ではない無責任さから感じることなのかもしれない。

なら、第三者が葬式を仕切り行えば良いのかも…は、その最たるものがもしや、こくそう。

嫌なことを思い出してしまった。

いや、私は、規模ではなく機会のことを言ってるんだ。

今は親子孫の代のみ、というのが普通なのかしらねと母は嘆いていたが、そうしているのは母と同じ世代の人たちだから、ジェネギャではない。血縁関係の難しさが世間体を気にしなくて良くなった現代に後押しされた結果という感じがする。

 

私が喪主になるときは、世間はどうなっているのだろう。誰のための葬式を、やることになるのかな。