仮面福祉会

できることを切り売りしています

自分の世界を征服するため

最近の朝のBSは、伝統工芸などの技術で新製品を作り販路に活路を、という番組の再放送をやっている。

職人技を日常づかいに落とし込んでいくのが定型のようだが、競合が多いし、これで維持ができるとも個人的には思えない物ばかりで暗澹する。

諸行無常ということと、国のアイデンティティということの視点を行き来して考え込んでしまう。例えばこの先電気自動車しかなくなって、ガソリンによるエンジンを作る技が必要なくなったとして、その技術は何かに生かして残されるべきなのだろうか。

 

何も産み出さない仕事をしているので、商いの大変さに頭が下がるばかりだ。

 

その仕事は、今日も、日中は事件に対応して過ぎる。3か月前にフェーズが変わり、それ以前の問題が全然大したことではなかったように感じられる。

様々な人と電話で話し事実を紐解こうとするが、あそこでああ言われたとか、あの人にこう言われたとか言い合う内容が、全然整合しなくてすごい。主観のフィルタにかかり変容することが自由自在過ぎる。人間の社会がこのコミュニケーションで成立しているのが信じられない。

自分が死ぬことで世界を滅ぼすことができる、ということを思い出す。

 

残業時間帯に作業をひとつひとつ片付け、またやらかし、呆然とし、夜が更けて職場を後にする。アプリが、電車が止まっているというので遠回りしたがもう全然平常運転になっていて騙された。回り道は、運動チャンスだと捉えればわりと平気だが家が遠い。

 

ほとんど両親に会うことなくばたばたと布団に入る。好きだった人の夢を見てたまらない。そのまま死んでもよかった。