仮面福祉会

できることを切り売りしています

自ずとできる断崖

昨日、買ったばかりのスマートウォッチを落とした。傷がついていないことに安堵し、ではあの衝撃はどこに?と不思議がっていたが、サイドにあるボタンが曲がって押せなくなっていた。すごい、ピンポイントでここだったのか。他のボタンで用が足りそうなので直さなくてもよいか、でも新しいのにな、でも保証外だよな、修理中ないのも不便だしな、という貧乏な心が揺れ動いている。

 

ボタンが曲がった時計をつけてでかける。

 

電車には高校生がぼちぼち乗っている。そういえば10代の頃はセーラー服や学ランを着てみたいと憧れたものだが、いつの間にかその思いは消えた。というより、制服的なものに対する憧れがなくなった。その一因にはどうしても年齢があることを否定できない。年相応、ということを考えずに生きているつもりだが、自ずと変わる感覚の着地したところが年相応、ということがあるんだな。

今や着たい憧れはほとんどないが、萌え衣装というのは全然ある。学ラン、良いよな。

 

毎度のことながら月曜日はぼやぼやする。最近加わった派遣さんに仕事をお願いしていて、ちょくちょく質問され捗らない。人に依頼する面倒くささと、自身の仕事量を天秤にかけていつも迷ってしまう。

迷ってばかりいる日常である。

休み明けだからか、暖房が全然効かず全員凍えていた。管理室に電話をしたら、限界ですね、とすげなく言われ、ドアを閉めたらいかがですかと冷たくて哀しい。

しかしそれでも昼には強気でかき氷を食べにゆき、優勝のうまさであった。

 

夜のドキュメンタリーで、高度経済成長のすごさを称えるような内容が始まろうとして、途端に父が不機嫌になった。過去のことばかり持ち上げて、今はどうなんだと悪態をついている。私にしてみれば、団塊の世代バブル経験者のお前らの責任だろう、である。とんだお門違い。