仮面福祉会

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転生しなくても地獄だった

兄弟が家にいて、いつもより気配が多くて夜中にたびたび目覚める。兄のいる部屋から、シーパップがシュコシュコいう音が聞こえる。うっかり自分も休みのような気がしてしまうが、普通に5日間出勤である。寝ていたい。

昼頃、外がわーわー騒がしいので正面に座る同僚と顔を見合わせ、ああ、と言い合った。
終戦の日である。
今年は例年以上に意識され、毎日戦争がらみの記事や番組をなにかしら見ている。暇だというのもあるが、やはり、目下戦争をしているからだろう。やっているときこそ、やらないことが注目されるというのは、当然のことながらつくづくままならないことだ。
昔銀座の地下で見た、イッセー尾形昭和天皇をやってる映画もう一回見たいな。

帰宅するとにわかせんべいみたいな兄がまだいた。弟への祝儀について申し合わせをし、そうかそんなに出すのか…数年かぶりのまとまった支出だなとビビってしまう。
兄はよくしゃべり、高速道路が安い時間を選び、父からシャツのお下がりをもらって帰って行った。こだわりのない、気の良いやつなんである。

かたわらでビルマ戦の番組がやっている。
生還者のインタビューがうつるたび、この人たちはどうやって生き延びたのかと信じられない心持ちがする。人を殺して、地獄を見て、落ち延びて、80年近く以上病まずに生きてこられたのかと、恐ろしくて震えるばかりだ。
いずれ、間もなく、戦時中に成人だった祖父母がいたことが、貴重になってゆくのだろう。