仮面福祉会

できることを切り売りしています

帰るまでの計画を立ててから会う友達

はてなのアプリが起動しなくなってはアンインストールインストールを繰り返してついに諦めた。ブラウザからお届けしています。
引き続き電車が空いている。手摺につかまって立つのはしんどく、つり革に捕まると少し楽に立てることに気付く。
仕事の電話での雑談で、子供の学童がお盆の間エアコンをつけられないから私も明日から休みです、と聞く。そんな玉突きみたいなことあるのか。親とは本当に休みないものだ。
仕事に対する心持ちが荒んでいることを自覚していて、忙しいときは疲れているせいだと思っていたが、忙しくない今になっても全然回復しない。とにかく片付けてしまいたく、漬け込まれたくなく、人の心を意識的に無視している。これが悪いことなのかわからない。やりたい仕事の仕方かという視点でも、情緒的に仕事をしたくないので問題意識が生まれない。でも多分、問題がある。
新聞で、25年前ぐらいの共著エッセイ本の書評を読む。著者のひとりが母の友達で、小学生の時に読んだ本であった。当時彼女たちは40代半ばで独身で、自虐をしながらそれをおもちゃに遊んでいるような感じであった。その時代の人々だからか、上品な言葉遣いで仲良く喧嘩しているのがステキであった。母には何人か独身の古い友達がいるが、母は完全に専業主婦で、何年か前、自分が一生独身側の人間ではと察し始めた頃に、先輩方の話を聞きたいもんであると思ったのだった。書評では、女同士の友情は、既婚未婚で1度お別れしても再形できるし、お茶飲んで話してるだけで楽しいのよというまとめになっていた。私にはそこが一番しっくりこない。友達とお茶しても、話すことがないんだよなーといつも悩んでいる。だから友達に会いたいなぁと思うことがあまりない。独身の楽しみをそこに見出すとしたらあまりに困難だ。テレビで見るような、喋っても喋っても足りないような人はどこにいるんだろうか。友達に1人欲しい。考えるほど、友達ってなんなんだろうと中学生みたいな問いに帰着してしまう。むなしい。
オリンピックグッズの達磨をなぜてから寝る。