仮面福祉会

できることを切り売りしています

暇つぶしに最もらしいことを考えてるだけ

咳が出そうな気配を感じながら出ない程度の体調。まぁ良しとして可であろう。そういうわけで献血に出かける。

司馬遼太郎陳舜臣の本を小脇に抱えて問診に臨むと、スタッフさんに、渋い本読んでますね僕も司馬遼太郎好きなんですと言われる。わかるよそういう時、声掛けちゃうよね。しかし血を取られている間は聖おにいさんを読みながら柔道を見ていた。期待に応えられなくてすまない。

夏は血の巡りが良いのでさっさと終わる。昼の代わりに台湾風のお店で芋圓を食べる。和菓子に近い甘さで素朴でうまいがちょっと割高だったな。毎食の正解を探して止むことがない。

競技を見てしょんぼりしたり良かったねぇと喜んだり気持ちが忙しい。インタビューにも過去からの学習が感じられるが、それにしてもコメントの瞬発力まで求められる選手は大変であるなと毎回思う。言い表せる気持ちなどどれ程あるのかよ。しかし、注目されるのは基本的には嬉しいのか。年中あれこれ聞かれ続ける人なんて限られてるものな。

この間ずっと、能力に年齢は関係ないということを考えている。とすると、体と頭の衰えが必ずあるなかで、年を重ねながらどのような振る舞いをしていくのが正解なのだろう。年とは関係なく維持される能力とは一体何なんだろう。逆に、私が諸先輩方に甘えてできていないことが何かないだろうか。

人生が長く暇だが身の回りに希望がないので、考えが飛躍して止まるところがない。