仮面福祉会

できることを切り売りしています

念じても起動しない時計

スマートウォッチの電源が入らなくなって困っている。買い替えを延ばし延ばしにして本当に使えなくなって途方に暮れる種類のものが控えているので優先順位は低いが、またひとつ懸念事項が増える。

先日行ったフォーラムで、学者先生がコンピューターについて、仕組みは簡単で近代以降発明はされておらず、ただ速くなったり小さくなったりしてできることが増えただけ。というような話をしており、ほほうとなった。その簡単な仕組みの知識すらないが、そう言われてみればそうらしい。しかし、速くなったり小さくなったりするのが肝心で余談なくし続けており、そのせいで本体が高価になっていくの、一瞬納得いかないような気がした。
「普通」の生活をするのに金がかかってしょうがない。

計算と仮定と空間認識が苦手なので算数ができない。したがって物理化学の理解が難しい。時々理数系の授業で辛い目に遭う夢を見るぐらい潜在意識でもできないと思っている。だけど理科系の現象自体は面白く、科目そのものが嫌いなわけではなかったのでなおのこと残念だ。
それで、パソコン周辺のできごとについても、根本的なところは全然理解ができていない。しかし、多分お互い好き合っていて、相性が良い。昨日、前にもらったせんべいが何だったか調べたくて、パッケージに書いてあった記憶のある「楽」という字と「せんべい」で検索したら一発で出た。
最近気付いたのだが、私はGoogle検索をするとき、出てきてほしい答えについて念じている。

草花なんかならまだしも、精神世界が絶対関係ないのわかってる物に対してまで情緒的になってしまうの、何なんだろうな。