仮面福祉会

できることを切り売りしています

共感ができないと寂しい

出先に直行で打ち合わせなのに、自転車がないことを忘れており朝焦る。電車もバスも遅れており更に焦る。遅れても死ぬわけじゃない謝ればいいのだと開き直りつつギリギリ滑り込んだが、いい加減ぼやぼやし過ぎである。

長年の懸案事項を片付けた。あとは結果を待つのみである。待つのみ、であろうか。ひとつ片付けるとまた新たな事項が持ち上がる。

知り合いに、地元での生活について聞く。
実家から遠く離れて暮らしたことがなく、地縁も東京にしかないので、上京と帰郷の感覚がわからない。特に、全く環境の違うところ出身の人が東京に疲れるとか、東京で働き暮らしているがいずれ帰る地元がある、とかいう感じが掴めない。いずれ地元に帰ったら、釣りがしたいとか山菜を採るんだとかいうレベルの話だと、どういうところで暮らしてるのかしらと想像ができない。
逆に自分がすっかり日常として受け入れている東京の人の多さとか土着の人の少なさとかつかず離れずの人間関係とか留まることのない開発とかは、住んだことのない人には想像し難いのだろうな。
田舎が良いとか都会が良いとかいうことではなくて、それが各々の普通だということだ。しかし相手が話していることをみなまで理解ができないことが、もどかしい時はある。

母が誕生日を迎えて自分の年齢についてしみじみしていた。どうも、いずれ迎える父との死別などのことを考えていたようだ。母親は常に強く突き進むものだという感じがしていたが、例にもれず年を取ると気弱になっていくものなのだな。