仮面福祉会

できることを切り売りしています

愛するにしっくりくる言葉がない

録画しておいたいだてんを見るのに同居人たちを巻き込み、ついでにNHKでやっていた星野源のPOP VIRUSを見た。
見たい、という気持ちはあるものの尻込みしているところに、他人の存在は動機づけとしてありがたい。程々に興奮を共有しながら見ることができてよかった。

いだてんは、大変ドラマチックな出来事を多くを語らず静かに一人一人が片付けていく様子がすばらしかった。みんな地に足がついている。
そして何しろ四三と朝太が神がかっているので、見られるだけでも本当にありがたい。

星野源は本当に死ななくてよかった。
ライブとインタビューを見て、自分はこうします、というのを発信する覚悟ができているのがすごいとつくづく思った。相対で動いてばかりいて自分の意志をおろそかにしがちなので、あのようにちゃんとしたい。

例によって司馬遼だが、愛する、というのは状態の説明だと言っているのを読んだことがある。そういえばそうだなと、愛があるかないかはわかるけど、するかしないかはしっくりこなくて、好き、と違って感情が乗らないのはそういうわけかと思った。
ライブ映像に付いた歌詞の字幕を読んでいて、聞いててわからなかったことがよくわかるなと思う。そしてよくわかるのは、わかりやすかったり明快な単語からではないのが面白い。

盛り上がったついでに、同居人に昨日書いた新元号の写真を撮ってもらった。意識的にあまり遠慮をしないようにしているのだが、良い人たちと巡り合ったものだ。