仮面福祉会

できることを切り売りしています

義理とかいう時点で妙だ

いつかやろうと思っているものを端から片付けることにしたので、剣道をやってきた。剣道部だったから。
この間やったもろもろの中で断トツめんどくさいことがわかった。

道場に所属したことがないので大人と剣道をする作法に慣れない。並み居る大人の中で、誰が「先生」かをまず知らなければならない。そして稽古をつけてもらうときは教えを乞う姿勢で、面打ちがダメだから練習させたいんだな・・・とか「先生」が考えてることを察する努力をする。
仕事か。
いや、むしろ仕事はもうちょっとはっきりしている。

日本的なものはどうも抽象的だ。言外の常識が多い。
私たちは習慣的に、何もないところに何かを見出すということをやっていて、武道や芸事や儀式や作法などはそういう習慣に飾りをつけたもので、もとは全部同じという感じがする。
何もないところに何かを見るのは、唯一神を持たないからではないかというのを読んだことをがあってなるほどと思った。

空白や間を存在するものする感覚はむしろ好きだし、みなまで言わないということの良さはあると思う。しかしスポーツだと、それいる?ってなるな。正直。もっとカジュアルに楽しくやりたい。

慣れれば居心地の良いコミュニティになるかもしれないから、義理もあるしまた行こうとは思っているのだけど、正直ちょっと腰が重い。
防具がかさばるし、痣ができるし。