仮面福祉会

できることを切り売りしています

常識という間合いを量る

贈答、という文化にいつも二の足を踏む。

今年度最終日だったためわらわらと人が行き交うこと極まる。
3日前に上司が変わることが発覚してそうかと思って以来ぼんやりしていたが、今日の昼になって周りの人から、何か贈り物をしなくて良いのかと聞かれてはっとする。たかが異動ごときで日常を逸したくないので最終日だということに気付かないふりをしてやり過ごそうと思っていたのに、しなくて良いのかと聞かれると良いとは答え難いではないか。

日本の組織なので、たぶんこのように義理を果たすのが正しい振る舞いだ。
母も祖母もお礼やお土産ものを常備しておくほうの人で、子どもの頃から指導をされてきたはずなのに、どうも身につかず何気なく忘れて失礼をしがちである。だから時々差し上げるものを探しにデパートなどに行くと、自分のためには買わないだろうものでフロアが埋め尽くされている様子に感動する。こんなにもたくさんの商品が贈答の文化で成立しているのか、と。

中村小山三さんという、中村屋の大正生まれのお弟子さんの自伝で、襲名の時に今後ともよろしくと配るものとして、申年だから日本橋さるやの楊枝にした、という話を読んだ。楊枝の専門店・・・!と震えるが、そういうのはすてきだと思う。

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ドラえもんの楊枝いいな。箱ほしい。

差し上げたりいただいたりするのは文化的な良さがあるなと思うのに、身近なことになると論理的にやるべきか否かとかいう思考になってしまうの、何なんだろうか。

餞別については、相手がお菓子を出してきたら渡そう。何もなければ渡さずにみんなで食べよう。という合意で慌ててどら焼きを買ってきてもらい、結局渡した。武道の立ち合いの感があっておかしかった。