仮面福祉会

できることを切り売りしています

作法を得るほどの食卓になる

何を食べるか考えるのが面倒だが、お店に入って食べたいものがないと落ち込む。そういうわけでインドカレーと中華料理ばかり食べている。

今日も中華定食を食べていてふと、ごはんの位置を換えているお客さんが目に入った。配置換え、私もしているな。
どうも主食が左にないと食べにくい気がするので、インドカレーでもナンが左になるようにしている。しかしつまり中国やインドの店員さんは同じように感じないということだ。これが文化人類学か。
世界は日々平坦になるが、まじないとか迷信めいた、小さい習慣が根強く残るのおもしろい。(自分は、お椀の蓋があった場合に右手で空けて右に置くから、お吸い物は右に置くものと教わっている)

落語といったら蕎麦を食べる仕草という安直な印象があるが、まんじゅうが怖かったり腐った豆腐で意地を張ったり、食べ物が出てくる噺はそう珍しくなさそうだ。しかし歌舞伎の人たちはあんまり食事をしない。何か食べるとしても酒の肴だ。客層がそう変わるようには思えないし、全く違う世界の人間を描いているわけでもなさそうなのに、何でだろう。食卓がそうゆたかでなかったのは確かなんだろうが、蕎麦や団子を食べるぐらいであまり食に執着していないようにも見える。

何を食べるか考えられるぐらい選択肢があるということは贅沢だ。贅沢だがそれが幸せなのかはまた微妙だ。できれば私もあまり食べることに執着せずに生きたい。