仮面福祉会

できることを切り売りしています

来世は虫かも知れないぞ

共感はできないがわかる、ということがあるなと思う。

去年、ハリウッドが舞台の演劇を日本人がやっているのを見た。
役者さんが良かったし面白かったのだけど、外国で作られた演劇の日本版、というものの存在理由が理解できていない。全員日本人で日本語なのに、ヘイベッツィ!みたいに言われると、ベッツィとは…と不思議な感じがする。
テーマが理解できればベッツィでも気持ちはわかるのだけど、歌舞伎で鎌倉時代を江戸仕様でやるように、まるっと日本に置き換えようとはならないのかしら。そのままのほうがよく伝わるのかな。

前に七之助が出ていた「エターナルチカマツ」という舞台は、現代と近松の世界を行き来する話で、デヴィッド・ルヴォーという人が演出をしていた。正直、七之助がさすがだったなということ以外あまり覚えていなくてファンの良くないところだが、西洋圏は日本の古典の受け取り方が違うのだなという当たり前のことを思った。悪い意味じゃなくて全部が「普通」になっていた。

近松門左衛門の作品は外国で、自国を舞台に置き換えたものも上演されていると聞く。各国版で共通して「わかる」場面とは何なのか、ちょっと興味がある。

近松といえば心中物だが、私はあまりその良さがわからない。心中して一緒に生まれ変わる、という発想の頭から爪先まで全部意味不明なので逆に面白い、かも、ぐらいのものである。輪廻のないキリスト教文化なんてなおのこと、心中物にどういう面白味を見ているのだろうか。

田中圭が好きなので、明日は世田谷パブリックシアターチャイメリカを見る。どうやらアメリカ人をやるらしい。