仮面福祉会

できることを切り売りしています

まだその場に立ち会ったことはない

島からはもう帰ってきた。

昨日今日とたまたま人の亡くなる話を聴く機会が続いた。祖母の死を経験してから、人が亡くなることの悲しさが実感としてわかるようになったせいか、聴くとすぐ泣くがコントロールもできる。
昨日今日と聴いたのは、高齢者の看取りと、災害で人が亡くなった話だった。

「ご冥福をお祈りします」というのがあまり好きじゃない。
勘三郎さんが亡くなった時に、コメントなどでそのフレーズを聞くたびに、悠長に冥福とか祈ってる場合じゃないから、とすごくイライラしていた。まじきもいやつなのだが、あの時は勘三郎さんが亡くなったことの意味がわからず、この後どうなっていくんだろうという不安に駆られていた。不安過ぎてお通夜の日に築地本願寺まで行って様子を見てきた。申し訳ないからもう1回言っておくが、まじきもいやつだ。
それ以来、冥福云々に関してずっともやもやしていて、しかし他にちょうど良い言葉がないように思うので言ってくれる人を否定することもできず、祖父が亡くなった時にはできるだけ言われそうなタイミングを作らないようにしていた。
全部終わったみたいな感じがするからかな。

勘三郎さんの死に関しては、去年7回忌追善公演をやっていたけれど、何だか時間だけ経ってしまってただ今不在なだけという感じがしている。勘九郎は「腑に落ちない」と言っていたのがのとおりで、もうずっとこのままなんじゃないかと思う。

身近な人が死んだときのつらいのは、いつまで経ってもなくならないんだなと実感している。だからせめて死に方はできるだけつらくなくあってほしい。

毎日何にもならないようなものを書くのを続けているが、どうもほの暗くなるなと自覚している。根暗なんだな。
根暗なのでそれを言い訳に遠慮なく暗い話をしました。