仮面福祉会

できることを切り売りしています

身近になると怖くなくなる

すっかり晴れたので、恒例の買い物同行に向かう。
バスに乗ると高齢化率の高さを思い知り、席を譲るべき対象に迷う。
堺屋太一が亡くなったというNHKの通知を受け、速報される人とされない人の判断基準はどういったものなんだろうと思う。

昨日、上野で江戸絵画を見た。絵師についての解説を読むと、みんな結構長生きしている。昭和の企業戦士だった祖父より長生きだ。
仕事で、1947年の平均寿命は50歳ぐらい、という話を中高生にしたりしているのだが、80歳ぐらいまで生きる人がそれなりにいるのだとすると、若年で死ぬ人がたくさんいたんだろう。

芝居の中の人たちの、死んだり殺したりする決断が早い。
間違って義父を殺したと勘違いして切腹。主君に不義理を働いて切腹。主君の身代わり作るために殺す。不都合なことを聞かれて殺す。侮辱され挑発されて殺す。出世に邪魔だから殺す。後追い自殺。叶わない恋だから心中。
それに至るまで様々思い悩んでいるんだろうが、思い悩んだ末に死ぬしかない殺すしかない、という状況が起き過ぎる。辛い世界だ。

司馬遼太郎との対談でドナルドキーンが、近松の心中ものの「一緒に生まれ変われるように片方が宗派を変える」というシーンについて、あまりに簡単に宗旨変えをするので、作者は仏教をあまり信じてなさそうだ、というような話をしていた。そんなもんだろうと普通に受け入れていたので、キリスト教圏の人には変な感じがするのか、ということが逆に面白く思う。

でも、江戸時代の人は今より本気で来世を信じていたのかもしれない。「死ぬ」というのがただの選択肢のようだ。