仮面福祉会

できることを切り売りしています

必要ないことは必要ないのかという禅問答

できれば最短距離を行きたい。
しかし映画館や劇場など逃げ場のないところに入ってしまうと、どんな回り道でもそういうもんかと受容できる。

11月に平成中村座に行って、久しぶりに忠臣蔵の七段目を見た。内蔵助が祇園で遊び呆けているのは敵の目を欺くためでした、という段。
筋はそれだけなのに、物語を進めるのには必要なさそうなくだりがありすぎるのが最高だと友達と盛り上がった。

内蔵助が平右衛門の嘆願書を受けとる受け取らないとか、お軽が2階からこわごわ梯子で降りてくるとか、平右衛門がお軽を殺す殺さないとか、何をはしゃいでるんだと見えるようなやり取りに、もうしつこいぐらい尺を取る。その一方で死ぬ殺すの決意はすごくあっさりしており、江戸時代の価値観どうなってんだと笑う。そして内蔵助が劇的に豹変して超怖い顔で幕となり、うおお何だったんだと戸惑ってまた笑う。助六もそうだが、追い込みがすごい。

筋がわかりやすいように整理して、通しでやっても面白いかもなと思うけど、ごちゃごちゃしたままでも、みんな一生懸命でかわいいなーと思いながら愛でていて十分楽しい。というか勘九郎の平右衛門と七之助のお軽は、二人の配役の中でも超好きでブロマイドを買ったやつなので、正直細かいことはどうでもいい。

普段、福祉の仕事をしていると、必要か必要ないかで判断しないといけない時がある。決めないといけないので判断はするけど、必要ないものが本当に必要ないとは思っていない。
芸術とか文学とか古典とか、日々を生きるためには必要ないものたちが、必要であることの説明は難しい。しかし不必要に見えるものが、ものごとを構成する要だったりすることもある。それは、必要ないものとみなされて、なくなってから気付く。