仮面福祉会

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美しいものは手元に置いておきたい

ここ1,2年、吉沢亮が最も顔の美しい人だと思っているので、手元に置いて観賞したくて写真集を買った。

何年か前に源氏物語与謝野晶子訳版)をせっせと読んでいたのだけど、美しい人は教養もあり心も美しく、醜い人は身も心も醜い、清々しいぐらいに美しさが正義の世界で怖い感じがした。光の君やってることめちゃくちゃじゃないかひどいな、と思うんだけど、一つ一つの行動が誠実な感じもするし、物語の中で光の君を恨んだり憎んだりする人がいなくて、それが全部光の君が美しいから、に集約されるのが、みんな騙されてるよこの世界では私はとても生き残れない、と恐れおののいた。

でも最近は、美しいものは確かに何にも替えがたいなと思っている。
歌舞伎を見ていると、この役者のこの役のこの形が美しい、という時があって、それに当たった時は応援上映であればいいぞもっとやれと叫びたいところある(応援上映でなくでも声をかけて良い、大向うというシステムが歌舞伎にはあるが、道理である)。形を美しくするには手足の運び体の使い方着物の柄小道具の使い方後見や鳴物との呼吸や間の使い方など、様々な要素が一致する必要があるので、一筋縄にはいかない諸々の結果の一瞬の美しさかと考えると、本当に美しいということは有難いことだ。有難さが極まるとその瞬間を閉じ込めて自分のものにしておきたくなってブロマイドを買ったりする。

いろんな、醜くかったり汚かったり辛かったり受け入れがたかったりすることも、美しくする努力をすれば受け入れられることがある。それでいいのかというものもあるけど、自分が良いと思っているものを受け入れてもらうには、美しさを追求するというのは必要なことだ。

ところで、以前本屋で若い男の子が「男の写真集って誰が何で買うの」的なことを言っているのを聞いて、そうかと思ったのだけど、これを書いてる途中でちょうどよい記事を見たので慌てて投稿した次第です。
イケメンの写真集を楽しむのは、基本的人権のようなもの。|横川良明 @fudge_2002|note(ノート)https://note.mu/fudge_2002/n/n2a59c9019fc1