仮面福祉会

できることを切り売りしています

共感性はコントロールできるのか

福祉の何かしらは何にせよひとりでは進められないので、共感性が必要である。という話を聞いたのを、本当にその通りだなと思い出した。

高校でクラスのTシャツを作る風習があり、当たり前のように作ろうとしたところ担任の先生が、Tシャツ代が負担になる家庭もあるだろうからという理由で反対をした。当時それが、言ってることはわかるが全然ピンとこなかったのだ。その時は先生が超安いTシャツを自腹で買ってきて各々スローガンみたいのをみんなで書くことになったのだが(今思うとそれもどうなんだという気がする)、ほとぼりが覚めた頃に結局業者に頼んで作った。やっぱりみんなピンと来ていなかったのだ。

Tシャツを買えない家庭なんてあるのかしらと思ったのか、買えないなら買わなければ良いのではと思ったのか覚えていないが、つまり共感ができなかったのである。

今はそういう家庭があることもわかるし、こういう慣習化したものごとでいちいち苦い思いをしている人が、少なくないことも、わかる。しかし高校生だった自分は何せ幼く今以上に自分が中心に世界が回っていると疑っていなかったので、どうしたら共感させられたかということはとても難しい。発達が理解できるまで進んでいなくて、根本的に理解できないことってあるなと思う。今でももちろん。

実感があるので、自分が、これは取り組むべき問題だと思ってカッカしても、誰も共感してくれなかったら何にもならない、という悲しさがある。