最近障害者の就労支援施設に行く機会が重なった。一つは就職につなげることを目標としている人もいるところで、もう一つは色々なものを作ったり野菜を育てたりしながら生活をするのが目的というような感じのところだった。(正確に施設の種類の定義付けはあるのだけど、大体で書いています)
障害を持つ人たちが織物だったり絵だったり染物だったりといった作品を作るような工房というのがあって、そこで作ったもの、特にアート作品といえるようなものが好きだ、という人が世の中にいて、それきっかけで支援者として働きたいというルートがあることを知った。
アート作品以外だと、お菓子やパンなんかを作っているところも結構あるのだけど、例えばそういうところに学生が職場体験なんかに行くと、お菓子づくりが楽しかったという感想になることも多い。
きっかけの一つとしていいとは思うんだけど、そういうことじゃないんだよな、と思っていた。例えば作品づくりにしたって、値段がつくようなものを作れる人がどれぐらいいるかって、ある程度の割合でいるのは確かだけど、「作る」という行為すらままならない人の方が多い。支援者(という言い方が正しいか微妙だけど)は、そういう人がどんなことが好きだろうかとか、得意だろうかとかをよく考えて、できるだけその人にとって良い時間が送れるようと試行錯誤しているのだと思う。
正直、介護をするとか支援をするということが、ずっとしっくりこないでいる。でも最近少し腑に落ち感があるのが、相手がいかに「今」を良く過ごせるかとか、少しでも楽しい時間、思い出を作るということで、つまり何か改善させたり、未来をもっと良くしていかなくてもいい、ということである。