仮面福祉会

できることを切り売りしています

支援されるべき孤独

社会福祉はその名の通り社会の福祉だから、そこそこ多くの人が共通して「必要である」と感じる説得力がいる。

年頃なので、ここ何年も友達が子どもを産んだり育てたりしているので、様々な子育て模様を聞かせてもらっている。
それで何とまあ三者三様十人十色なことでしょうかと思うんだけど、こんなみんな違うのに、各々自分が正しい、というか、自分がマジョリティである、と思い込むようにして頑張ってんだなというところが、興味深い。

公的な福祉活動の一つとして、自治体の保健師さんとかの、妊婦さんとか出産したばかりの人がいる全戸訪問というのが、ある。妊婦さんとか新生児を抱えたお母さんとかが、一人で悩んで色んなことが起こらないように、ということなんだけど
自分の友達、という限定的な分母にも関わらず、こういうこと一つとっても、「必要ない、迷惑」って人もいれば「ちょうど困ってることがあって相談できた」って人もいる。

たまたま周りに相談できる人がいるとか、たまたま親が近くに住んでいるとか、たまたま仕事があって社会とつながっていられるとかいうことを、「当たり前」と思っているのが、わかる。
もしくはそうやって恵まれていることが優れていて良いと思ってるのかもしれない。
私はもうこっち側の人間になってしまったので、それが「当たり前」と思う気持ちがよくわからない。それで、自分が置かれてる環境を基準に「迷惑」が大多数だと思われると困るなと思って、相手にとっては全くありがたくない弁護をもごもごしてしまう。

公的なサービスは、税金を使ってるし、効率が悪かったり無駄だったりするものもまぁ、あると思うんだけど、発端には何かしら社会の問題があることは確かなはずなのに、「自分に合わない」っていう理由で社会みんなの意見みたいに批判が膨らむのが怖い。
こういうことは、多数決ではなくて、少数でも助かってる人がいる限りは続けるべきだと自分は思う。その少数を取りこぼさない努力をすることが、社会を成立されるために必要だから。