仮面福祉会

できることを切り売りしています

選択しなかった選択のその後を知らない

この間同僚がおばあさんが大腿骨骨折で入院したと言って、一瞬周りが騒然となった。
「大腿骨骨折で入院」。
高齢のみなさんには必殺技である。
それがわかってるので、急性期にも関わらずみんなして「がんばれば寝たきりにならないから諦めるな!」みたいな声かけをしていた。
ここのところは本当に、本人も周りもキツいのはわかっていながら、がんばれと言ってしまうところです。

もちろん本人のもともとの体力とか気力が大前提としてあるんだけど、
時間がかかろうが時々トイレ間に合わなかろうが転倒の危険性にひやひやしようが、根気強く付き合えば、寝たきりも車椅子も回避できる人は、多分いる。
でも周りが疲れちゃって、寝たきりに落ち着かせちゃう、っていうことは、多分ある。

それはそれで辛いけど、しょうがないことだと思う。

実際自分も、一緒に暮らしていた祖母のこと、全部やってあげた方が、何ならいっそ寝ててもらった方が、安心で楽。と思うことは正直あったし
根気よく付き合うというのは多分子どもと一緒だけど、子どもじゃなくて自分の親だったりするわけだし、子どもみたいにそのうちできるようになるどころか、できてたことができなくなるばかりというのは、周りの人にとってはキツい。(もちろん本人もキツい)

キツいのはわかってるから、そちらの道を選択してもしょうがないと思うけど、でも、できるなら、
できるだけ自立できるような道を選択したいし、してほしいと思うので
やっぱり、がんばれと言ってしまうのである。

これはどういう気持ちなのかなと考えたんですが、たぶん
最終的には「介護する人」ではなくて、「介護される人」の気持ちにくっついた結果なんだと思う。

がんばって付き合った結果やっぱり寝たきりになるかもしれないし、それでも付き合いきれなくなることはあると思うけど、できる限り本人の意思を尊重した、という事実があとあと救いになるようなことも、あろうかと。