仮面福祉会

できることを切り売りしています

下りに向かう曲がり角

朝、いつもどおりテレビをつけると全チャンネルJアラートである。本当にミサイルがこちらに向かってきたら、これまでの日常がまっさらになるぐらい有事も有事だ。しかし経験のないことで、地震や台風のように実感としてやばさがわからず、いまいちピンと来ないのは事実だ。一生ピンとこずに済むのがベストなので、実感のないまま備える相反が難しい。

電車の混雑を避けて連結部に入り込んだ人を、見ているだけで怖い。ここで事故にあったような話を聞いたことはないが、これは実感として恐ろしいので不思議だ。どう見ても脆弱な場所だとわかるからかな。

怖いので扉を押さえて閉じ込めてしまおうかしらと思う。

 

発送の相談で郵便局に行く。対応してくれたスタッフさんの足元を見ると、ピンヒールの靴を履いていた。ほとんど立ち仕事なのに、強いな。

私もかつて、ピンではないが、5センチぐらいヒールのある、ほとんど素足みたいなパンプスで年中過ごして平気でいた。こういうのに対しては、若さを引き合いに出すのが定番だが、歳はどう関係あるのかしら。単に慣れという気もするし、我慢してただけな気もするし、不快に気付いてなかったような気もする。若くて不快がなかったのか、単に無頓着だけだったのか。多分前者なんだろう。

 

毎日アプリにしたがい運動しているが永遠に体が硬い。初めから体の硬い。赤ちゃんはいないが、小学生の時には既に硬かった記憶がある。成長する一方だったはずの頃に、体の柔らかさだけ先に曲がり角を過ぎたのか。人体のなぞである。

辛抱に面倒くささが勝つ

リビングの、天井に4か所埋め込まれている電気がつかなくなった。別の電気をつけると部屋の一ヶ所が集中して照らされ、自分が座る辺りが少し影になる。一人芝居を見ているようだ。しかしさして不便でもないので、切れた電気は切れたままにしてしまいそう。

一週間ぐらい前にスマホの通信料が上限を越え、激遅期間に入っている。ちょっとの間だしねと、遅いままこなすのが毎月末恒例になっていて、むしろ使えなくならないのが良心的である。

多少の不便を辛抱して生きるのが生物という感じがするが、それに相応しい対象かどうかという視点はあるだろう。今辛抱しているのは多分、する必要がないやつ。良い感じに言ってないで早く何とかせよと。

 

遅延でどんどんぎゅうぎゅうになる電車は、できれば辛抱したくない。

到着駅で電車から吐き出されたあと、白杖の人が、目印にしている掲示板までたどり着くのを見守る。目印を見失っていたら声をかけることにしている。目が見えないのに視覚に基づく熟語しか思い付かない。

 

上司との面談があり、今から来年度の異動希望のことを訊かれる。別の部署に移るよか、他機関に出向したいとかねがね伝えているが、実現したらめちゃめちゃにストレスなんだろうな。希望を述べる私と、現実で体験する私に乖離がある。

その後、会社の偉い人に、これからかかろうとしているの仕事の説明をする時間が設けられた。昨年私が、休みの暇つぶしにやっていたあれこれである。これを出帆させた結果、上司、そのうえの上司、そのうえの偉い人、教授、と順調に船がでかくなり、操縦席に様々な人が座るので、勝手にやってくれと船を降りそうな心境になっている。自分のコントロール下にないとやる気がなくなるのは、私の悪いところだ。全部コントロールできるような力はないんだから。

 

婚活のお断りをようやっとスタッフさんからしてもらえたのに、相手からメールが来た。気配りができる方だと自称していたが、これきりの相手に別れの挨拶する、というのもそれなんだろうか。