仮面福祉会

できることを切り売りしています

これからは新劇の時代だとかなんとか

最近ドナルド・キーンの本を図書館で見つけては読んでいる。そんな折、たまたま福田善之の「オッペケペ」を見ることになり、明治維新からずっと、歌舞伎の立場ってのは変に難しいもんだなということに触れ、面白がっている。

スーパー歌舞伎とかコクーン歌舞伎とかマンガを歌舞伎化とかの目立った新作歌舞伎があって、その発端にはどうも、歌舞伎がつまらないものになるという危機感があるらしい。それで実際に論評になると、伝統なのか娯楽なのかという対立軸に置かれ、良いとか悪いとか歌舞伎とはとかいう話になったりしているのを、演劇界などでふんふんと読んでいる。
読みながらしかし個人的には相反するものではなさそうなので、取り立てて二者択一にする必要もなかろうと、単純に好きな役者が出ていれば見ていて、普通に面白かったりつまらなかったりする。
つまり、こんなのは歌舞伎じゃないと鼻息を荒げる気持ちはわからない。わからないんだけど、新作歌舞伎を見ているといつも、何だか騒がしいな、と思っている。

とくに古い歌舞伎を見ていると、一見何もしていないような時間が結構ある。誰もしゃべらないとか、気配を消してるとか、謎のような余白があって、しいて言えば自分が歌舞伎らしくて好きだと感じるところは、そこなんだと思う。例えば野田秀樹の歌舞伎など、面白くて好きだから何度だって見たいんだけど、セリフや要素がぎゅうぎゅうに詰まっているので(それが野田秀樹らしいところなんだと思うけど)もうちょっとこう、たっぷりとした緩急が欲しいわと思うことがある。

あと踊りがな。
歌舞伎にはやっぱり踊りが欲しいな。踊りが良かった時の神々しさったらないから。脈絡なく急に踊り始めて心情表現する、っていうのも、意味わかんないけど気持ちがわかって好きだし、あの、踊りの、足を踏み出すところなどの「間」が気持ち良いかどうかにカタルシスがかかっている。

歌舞伎の演目の中には、筋がどうこうということよりも、役者のいいところを見せることを優先してるものも多いから、そういうのが多分良し悪しってことなんだろう。私ももちろんお話がつまんないのは眠いし退屈で嫌なんだけど、好きな役者のいいところは見たい。更に、気持ちの良い「間」でもって贅沢な気分も味わいたい。

誰か、いい感じに踊りと間と鳴物が生かされて筋も面白い、現代歌舞伎をつくってくれないもんかな。